新入社員研修の知恵プラス  

知恵プラス

青山学院大学 須田敏子教授 インタビュー

須田教授

*** 須田敏子教授 ***

青山学院大学 大学院国際マネジメント研究科 教授。
青山学院大学経営学部経営学科卒。
石油会社を経て、日本能率協会マネジメントセンター勤務後(月刊誌「人材教育」編集長)、イギリスに留学。
リーズ大学で修士号取得(MA in Human Resource Management)、バース大学 で博士号取得(Ph.D.)。
専門は人的資源管理。




 

1.激動の世界環境、追いつかない人事制度・施策・管理

グローバル化やダイバーシティなど日本企業が直面している課題は数多くありますが、残念ながら、これらの課題対応へのひとつの阻害要因となっているのが、私が専門としている人事領域であるように思います。
変化の度合いは産業分野や個別企業によって異なりますが、全体としては日本型の人事制度はかなり変化してきているように思います。しかしまだ日本企業が直面している課題に十分に対応できるほど、変化が進んでいないように感じます。
日本の人事制度は基本的には長期雇用を中心にして、ローテーションを含めた内部人材育成が主軸となっていて、ジェネラリストとスペシャリストのちょうど中間的な人材を育成して、職能制度で評価ということですよね。この日本型人事制度には多くの強みがありますが、同時に弱点も存在する。弱点のひとつに幹部育成が挙げられます。日本型人事制度の強みのひとつは、長期雇用に基づいて年次管理・年功制の中で年次順に昇進選抜していくことで、出世競争に多くの従業員をとどまらせて、競争を促進することにあります。逆にいえば、競争促進のためには、やっぱり長期雇用・年功制にしておかないといけない。○年経ったら課長になれる、同期のなかで落ちこぼれたくないと、全員に働くモチベーションと競争意識を持たせるためでしょうか。
この仕組みは、これまで日本の人事管理としてすごくうまく機能してきたと思うんですよね。

しかも、年次管理に基づく年功制っていうのは時間面・金銭面などさまざまな面でとても安上がり。能力とか成果を評価しなくてもいいわけですから。成果主義人事の流れが出て以来、評価できないという問題が指摘されていますが、考えてみれば年次管理・年功制の下では、部下の行動や成果を評価する必要はなかったのだから仕方ないですよね。従来の日本型の年次管理は評価に時間とお金をかけることもなく、しかも、従業員間の高い競争に支えられて組織パフォーマンスが上がっていたのですから、非常に良いシステムだったんです。だから環境が変わってもそこからなかなか脱しきれないっていうことですよね。

基本的には、組織にとって長期雇用は絶対に必要で、世界各国に長期雇用は存在します。流動性が高いアメリカでも長期雇用は存在します。しかもその強みをよく知っている日本企業が長期雇用を継続したいというのはとてもよく分かりますし、間違っていないと思います。

しかし、企業戦略などの変化によって雇用ポリシーを変化させなくても、結果として従業員側からみた雇用ポリシーは変化してしまうなど、予期せざる変化も存在します。たとえば、例えばM&Aが増加している現在、企業が雇用ポリシーを変えなかったとしても、変化は起こってしまいます。合併したら、新たな組織でのポジションにも限りがあるし、合併効果として人件費削減も行わなくてはならないし。当然、従業員個々人への評価を行わなくてはならないし、希望退職っていうのも当然入るし、希望退職っていう名前の下で、勧奨退職っていうのも行われている。部分的なものも含めて買収・売却が行われれば、対象部門の従業員にとって雇用者は変わるわけです。私が所属する青山ビジネススクールの社会人学生さんからも、自分の部門が売却されちゃったとかね、そういうことはよく聞きます。だから、企業戦略が変わった結果として雇用施策を変えないと言っても個々の従業員からすれば、雇用ポリシーは変わっていることとなる。

企業はこれまで同様に長期雇用で、内部人材育成したいという思いはあるのですが、実際にはその割合を下げるしかない。でも長期雇用の割合が下がってしまえば、従業員の側からしたら、自分が選抜されているのかどうか不安になります。また現時点では選抜されていても、来年どうなるかわからない、と感じてしまう。組織に対するコミットメントが低下するのは自然のなりゆきですよね。

いろんな形で企業が経営戦略や人事戦略を変化させている中で、従業員の意識も変わってきているのかなあって言う感じはします。でも、それを企業は気がついてない部分があるように思えます。もちろん先に言いましたように、産業分野によって違ってくると思います。この二年くらい製薬産業を研究しているのですが、製薬なんかはすごく転職がしやすくて、M&Aも多く、人材は流動化しています。そういうところだと転職とか定着を意識した人事制度がかなり取られています。

人事分野での他の課題としては、国内の雇用の空洞化にあります。これはもっともっと問題になるのじゃないかなあって思っています。これは企業個別の利益追求と日本としての雇用という、別次元の利害となるので、難しい問題ですね。いずれにしても企業は雇用の海外シフトを進めると思います。

そういった中、急速に企業の中でグローバルタレントマネジメントの必要性に関する認識が高まってきていて、多くの企業でグローバルな人事システムの構築を行っています。このグローバル化とダイバーシティが日本企業の属人主義、仕事やマネジメントの曖昧性を変化させてくれると思います。

ダイバーシティについては、現在のところ女性が中心となっているようですが、女性活用に関して言えば、さすがに少子化で、企業は困っていますので、なんとかなると思うんですよね。特に2000年代後半、2005年以降っていうのは、急速に企業が育児支援とか、そういう施策を「くるみんマークとりました」などと謳って、推進しようとしていますから、進んでいくだろうと思います。ただ女性活用の機運は高まっても、女性自身がやっぱり働いて実績残さないと、昇進は機運だけでは難しい話ですから。女性管理職の実績が出てくれば、自然に出来てくるんじゃないかなあと思います。グローバル化にもいえますが、ダイバーシティ、特に女性活用に関しては大きな流れとして進むんじゃないかなって言う感じはしています。

 

須田教授

2.人事評価と賃金制度・人件費

給料は自分がもらうときって、「これだけ」って思うんですけど、払う側にとっては本当に「高い」ですよね。 日本能率協会で働いていたのですが、能率協会という組織は管理会計単位が最少部門単位にまで落ちていて、一般企業でいうと課レベルで損益がだされていました。編集長として働いていた時は、担当していた「人材教育」っていう雑誌の単位で収支がでてきます。その時にもう人件費が高いと実感しましたね。

だから従業員としては払う側の立場から立ってみるという意識が必要です。日本企業の場合、これまでは収支単位が比較的大きくて、人件費計上も事業部とか大きい部門で計上されることが多いので、課長レベルだとあんまり気がつかないかもしれないですが、徐々に収支単位レベルもより小さな単位となってくると思います。欧米なんかですと、一次考課者の、大体課長レベルで人件費が計上されてきます。一次考課者が部下の個々人の賃金を決めることとなり、そうなってくるともっとシビアにコストパフォーマンスをみるようになってくると思います。日本もいずれそうなってくると思いますが、成果主義を実践するためには、この会計的なマネジメントと一体化することが重要でしょうね。収支を含めて成果を測定する。課の成果が課長の成果になるわけですから。それをきっちり分かるような形にしないと、成果主義っていうのは機能しないと思います。

人事で使う物差しと、マネジメントのものさし、会社として使うものさしが一体にならないと成果主義にならない。そうなってくるとより小さい単位で収支を把握していかなくてはならないのですが、そうなるとより短期成果主義が進んでいくことになると思います。課長さんからしてみたら、自分の課が赤字になれば、自分はもういらないっていうことになる。そうなったら今月の収支に対する関心が高まって、黒字にするためにはこの部下はいらないし、その代わりに他部門のあの人がきてくれないか・・・。そういうことが頻繁に起こってくると思うのですね。

そういう中で生きていかなきゃいけない。これは組織で生きる人たちにとって大きな変化です。
ある外資系の会社の取材をしていて出た話です。最近、日本法人の社長が交代して、新しくやってきたイギリス人社長は、賃金のバジェットを一次考課者、課のレベルまで落としなさいって指示したというのです。イギリスでは通常のことだと思いますが。

パフォーマンスの評価っていうのは人件費も含めた収支に責任を持っている人がやらないと効果が弱いと思います。収支責任をおっていれば部下評価に対するモチベーションが高くなるわけですよ。きっちり仕事している人にはちゃんと賃金を払って、必要のない人には払わないっていう意識が自然と生まれてくる。そうなってくると上司と部下の関係にも変化があるかもしれません。

もちろんですが、人件費がどんどん増えるっていうこともなくなると思いますね。以前は人件費は本社で一括管理していたという会社も多いと思います。そのときは部下はどんどん欲しいとか言っていたわけですよね。でもそれがだんだん事業部で持つようになってくると、そんなに部下はいりませんとなる。いま、日本企業の場合、事業本部レベルには人件費が落ちてきていますから、事業本部長は人件費の大きさを感じていると思います。これがさらに進めば、その下のクラスの管理者まで人件費をとらえる目が変わってくると思います。そして私たちビジネスパーソンはそういった中で仕事していかなきゃいけないんだっていうことを自覚しなくてはならないでしょう。

もっとも企業側、人事部側からすると、人件費も含めて収支に責任をもたせることに不安を感じているようです。これまで年次管理・年功制で多くの人を管理職にしてしまっていますから、マネジメント能力のない人も管理職となっているケースもあると思います。課長レベルに収支責任を負わせる、部下の賃金を決定させる、というマネジメント・人事権の分権化を実現するためには、成果主義人事の下で選抜・育成された適切な管理者のみがマネジメントにあたる状況にすることが必要となりますよね。これまでの日本型人事というのは、前述のとおり、多くの人を出世競争に残して、お互いに競争させることでパフォーマンスを向上させてきたのですから、まったくアプローチが違います。あたらしいマネジメントを実行できる選抜された人がラインポジションを埋めるときまで、混乱が続くかもしれません。

キャリアのリターンマッチができないので、社会全体として人材の有効活用ができない、ということも日本型人事制度の弱点のひとつです。特に大企業では優秀な人材をたくさん採用して、年功的に昇進させて、その間にローテーションで数多くの上司が評価していき、長期間にかけて評価・選抜をしていくというのが一般的に行われています。企業にとっては、長期間にわたり多くの評価者によっての選抜ですから、人材評価の妥当性・正確性が高まって、本当によい人材が経営幹部となり、合理的なわけです。40歳くらいで出世競争の結果が分かったら、他の人には出向や転籍してもらったり、早期退職でやめていただいたりとかしていただいているわけです。

これは社会全体からすると、十分に活用できる人材を無駄にしていることとなります。もっと早く選抜をしておけば、早いうちにうちの会社では出世できませんよ、と言ってあげれば、まだ転職できていますよ。30歳代くらいまでなら。

アメリカとかイギリスが、国際的にみると選抜の早い国なんですけど、入社3年くらいで、一次選抜が行われます。ライン管理者、ジェネラルマネージャーとして育成する人と、それ以外の人を早くわけちゃうというわけです。一次選抜にもれた人たちは、機能別・職種別のスペシャリストになってくださいっていう形です。でも3年目だったら、選抜されなかった人にもまだ別の会社でジェネラルマネジャーとなる十分な可能性がある。まだ25、6ですから、彼らはリターンマッチができる。

日本にはそのもう一回っていうのがないのですよね。
企業の中で、それこそズーッと同じくらいに働いてきて、ダメだって分かったときにはもうどこにも行けない。 「40歳過ぎてこの会社では将来がないと言われてもね」となってしまいます。
それこそ、アウトプレースメント行って、いきなり、自分の価値、市場価値を考えなさいって言われたって。今まで組織内の価値しか言われてなかったのに急に言われても困る。だから、厳しいけれど早くメッセージを出してあげることが従業員のためではないでしょうか。

企業側にとって危険は危険なんですよね。早く選抜するっていうことは。組織にとっていい人が選抜に漏れているっていう場合がありますから。だから日本式の遅くなって選抜結果をだすほうが、人材選抜の精度が上がって選抜に漏れがない。だから企業にとってはいいわけですよね。

だけど社会全体からしてみたら、早く選抜してあげて、自身のキャリアの方向性を考えてもらう。MBA教育というのはアメリカで始まったわけですが、MBAのひとつの目的として、最初の会社では選抜に漏れてしまったので転職するが、その前にMBAを取得しておくというのがあります。辞めた後ですぐ転職するよりは、MBAとっておいたほうがいいじゃないですか。

退職時が25歳なら、たまたまこの会社では選抜されなかっただけで、よその会社にいったらまた別の基準で選抜が行われるわけでしょうね。そして次の会社に入る前にMBAで勉強する。そうすればジェネラルマネジャーになるチャンスが再度与えられる確率が上がるかもしれない。再チャンス、再チャレンジが得られるわけです。MBAというのはそういう目的もあるわけですから、アメリカなんかはMBAを取得するのは20代と、夜間や週末など働きながら取得できるMBAコースの多い日本よりも、時期が早いわけです。

こう考えていくと人材面では、日本はもしかしたら、社会全体が、全体最適になってないんですよね。大企業が優秀な人材を抱え込んで、ダメだって言われた時はもうダメ。もう遅い。中小企業も取ってくれない。そこでまだ十分に働ける人材があまってしまうこととなる。


須田教授

3.年功序列の人間関係

年功制の下での人間関係、人事の世界では年功的職場秩序というのですが、こういった世界では年上のほうが偉いっていう人間関係が出来上がっています。ですから年下の部下たちにとっては年上の人はやりにくい存在、早く辞めてほしい存在となりがちです。人件費問題もありますが、定年延長を阻害するひとつ要因がこれですよね。定年を迎えてやっと職場から去ってくれると思っていた前の部長にいられちゃやりにくい、となる。平社員で給料が安くなってもいられちゃいやだと。
もう人間関係が、上下で固定されているのでものが言えなくなっていますよね。定年後に再雇用された人を元部下が管理するとしてもやりにくい。年功制でないアメリカで実施されている年齢による雇用差別撤廃なんて絶対無理な話ですよね。

定年問題、成果主義人事問題を考える際には、最初からフラットな人間関係にしておくことは必要だと思います。年功制の下では、年上がえらいという上下関係は変わらないと思っているから上司となった年上の人は威張ってるんですよね。いつ逆転するのか分からないと思ったら、全然いばれないですよね。

よくアメリカの会社では社長と部下がファーストネームで呼び合うといいますが、成果主義の下では、こういった人間関係のほうがいいですよね。仕事の中ではそれぞれの職務に応じて意思決定したり、命令したりるすけれど、仕事から一歩はずれたら上限関係はなくフレンドリーに話す。
イギリスもファーストネームで呼ぶことがふつうで、私もイギリスにいたときは、先生なんかもファーストネームで呼んでいました。
海外の学生さんが普通に「はい、ジョン」とか喋ってるから、私もまわりにあわせてファーストネームで呼ぶ、ということで、ファーストネームで呼びました。そもそも英語という言語は敬語もあんまり発達してないですから。言葉は社会を反映していますから、英語圏のほうが日本語圏よりも、敬語文化ではないのかもしれません。

よく風土改革で実施される施策に「さんづけ」運動がありますが、これは成果主義人事を導入するとか、逆転人事を実施する前に行われることが多い。逆転人事、降格人事などが頻繁に行われている中で、役職で呼ばれることはつらいですよ。ですから、「さんづけ」運動を逆転人事、降格人事の導入前に行う。ある意味「さんづけ」は従業員の自己防衛的な意味合いもあるでしょうね。

前職の日本能率協会では、「さんづけ」が普通で社長もさんで呼んでいました。だからお互いに肩書きを知らないことが多くて、外部からの電話で「○○さん、部長だったんだ」ということが初めてわかる、ということが結構ありました。能率協会はもともとコンサルティングからスタートして上下関係はあまりないところでしたが、降格も結構あるなど以前から成果主義の組織でもありました。「さんづけ」はそういう組織には不可欠のものだったのかもしれません。同時に、年功的職場秩序というのはほとんどなくて、すごくフラットな人間関係だったんですね。
こんなふうに、人事管理と人間関係・組織風土とは密接な関連があるのかもしれません。

それから人件費的にも年功賃金を変えないと、年功賃金のままでは、かなり給料カットしないと、再雇用っていうのは難しいですよね。人件費的にも年功賃金のままでは全員のこってもらっちゃ困るからやっぱり定年延長ではなく、再雇用で再雇用する人を選抜するっていう道しかないでしょうね。
少子化の中で、人間関係のマネジメントも含めて変えていかないと。でもこれには女性活用の進展以上に長い時間がかかるような気がします。人間関係の質を変えるっていうのは。

 

~ 後編 ~

4.男性の価値観
5.女性の価値観
6.ニコニコした人・社会